穴ぐらダイアリー

読んで字の如く。

外食

コロナ自粛により、宅飲みする人が増えたという流れは当然だろう。
知り合いの中には、外ではかなり飲むのに自宅では飲まない、また家族のいる自宅で一人飲んでもつまらないという男性も数人いる。が、さすがに今回のような長期間の自粛で、習慣が多少変化したのではないかと想像する。


新聞に掲載されていた、私のおこもり術というリレーエッセイのなかで、「宅飲みだとハシゴしないから安上がりです!」との一文を読み、妙に納得した。
そう。飲みに行って予定より安く上がった試しがないのは、このハシゴ酒のせいだ。
一軒ずつはそう大した事ないのに、帰った次の日に財布を見ると、きっちり使い切っていたりする。
カードは使わない派なので万が一の為に…と余分に入れていくと結局使ってしまうのは、ギャンブル好きと重なるところがある。
酔うと気が大きくなって、もう一軒行くか!ってなるから。と言っても、ラウンジやホストクラブに繰り出すわけではないからたかが知れているのだけれど…。


宅飲みだとこれがない。自宅という1軒目から動かないから、いくら調子づいてもせいぜい酒量が増える程度。しかもタクシーや代行代もいらず、眠くなったらすぐ寝られるというのも天国。
こんなに至れり尽せりの宅飲みであるのに、なぜ人は(私を含む一部の人々は)、外に行きたくなるのだろうか・・・?


行きつけの店で、お店の人と会話するのを楽しみに行く人もいるが、個人的にそこは重要ではない。もちろん、長く付き合いのあるバーなどには、マスターの顔を見にゆくというのも目的の一つにはあるが、それはごく僅かな例だ。



要するに、何もせずに飲食したいのだ。
だったらテイクアウトやスーパーの惣菜でも良いのではという話もある。
が、店に出かけて行って、目の前で作った人やサービスする人がてきぱき動いているのを見ることも、間違いなく飲食の楽しみの一つ。
人の作ってくれたものが食べたいという事も大きいが、何より誰かにもてなして貰いたい。自宅の壁以外の景色のなかに身を置いて、ボンヤリとたゆたう気分になりたい。
特別話しかけてきたりしないで良いから、熱い(季節によっては冷たい)おしぼりが出てきて、生のジョッキと突き出しがサッと目の前に並ぶ。そういうサービスをたまに無性に受けたくなる。


f:id:umiuchi2004:20200624174629j:plain

f:id:umiuchi2004:20200624174632j:plain

たとえば、プチトマトとモッツァレラチーズの前菜。同じ組み合わせでもお店による盛り付けやアレンジで変わるのが楽しいし、自宅で作るときの刺激にもなる。


自分で選んで買ってきたものとは違う、その場で何を飲もうか食べようかと考えるワクワク感。だから私はこれからも、また夜の街に吸い寄せられてゆくんだろうな。